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きらめきの未来を目指して

長めのツイート

🗻🍆🐮焦げルギーってなんやの〜?

 

リーディングアクト『一富士茄子牛焦げルギー』のお話😌

全14公演お疲れさまでした!今回は1公演も中止になることなく、2年越しの千穐楽を無事迎えられて安心しました。

折角の機会なので、何公演か観る中で感じたこと、考えたことをツラツラと。全部独り言です。笑

 

第一場(おとんの夢の話)

「なんか夢見たか?」の問いかけに「見てへん、ずっとテレビ観とったから寝てへんねん」で物語が始まって、ここが後々重要になるんだなぁと思うと作家さんってすごいなって思ったシーン😌

「おかんを生き返らせてもらおう」

この台詞に行き着くまでに色々ある訳だけど、特にこの第一場ではこの親子の繋がりが随所に描かれていたのが印象的!2人の掛け合いがナチュラルで、本物の親子みたいに見えたなぁ。“悪い人の基準は人によって変わるやろ”って言うところ、言葉は子どもだけど考え方は大人で、他にも出てくる台詞によって子どもっぽかったり大人っぽかったりするのは、15歳って年齢設定の所為かな、大人と子どもの狭間の時期の演出がこのあたりなのかな〜と。

陸ちゃん演じる“ぼく”の思春期感、親にちょっとだけ悪態ついちゃう感じもかわいい👍🏻ただ、まだまだ子どもだから一応話はちゃんと聴くし相槌もちゃんと打ってて、思春期感と子ども感のバランスが天才だった気がする。おとんが夢を見る為に寝付こうとがんばるシーン、カーテンを閉める“ぼく”の動きがエアサウナの動きと一致してて、気がついてからはそのシーン来る度ににやにやしちゃった☺️(笑)ぶっきらぼうな台詞の言い方とか、ムスっとした時にお口をぷくっとさせちゃうところがかわいかった〜😌子ども役の演技もばっちりだった👌🏻

 

第二場(おかんのお話)

突然亡くなってしまったおかんと、その現実が受け入れられないおとんとぼくの回想シーン。おかんが初めて登場して、生きてるおかんはここだけかな?このシーンだけで、おかんがどういう人なのか、家族にとってどんな人だったのかとか、この物語の根底と言っても過言ではない部分を、全員大きな動きはなしで、台詞とその言い方だけでを描いているのが、すごいと思った…!入学式の後に食べるご飯の話も、舞台を観た時は“おかんとそんな約束してたのね〜”としか思ってなかったけど、心情がもっと詳しく言語化されてる原作で、“約束なんかしてなかったんだろうな”ってぼくの思いを読んで、なるほどなって思ったし、舞台を見た時と見方が変わったのがおもしろかった(interestingの方のおもしろい)!

陸ちゃんはほぼナレーションの第二場、ナレーションとぼくの台詞を言う時の切替が上手だったと思う!もしかしたら贔屓目!ナレーションの時はとにかく言い間違えないように、噛まないように、一文一文一生懸命読んでるのが伝わってきたし、台詞の時はちゃんと感情を込めてるなぁって感じた!座って台本を読むだけのシーンで、ボディランゲージを使えない分難しそうなイメージだったから余計にそう思った😌

 

第三場メリケン

全部で五つある中で一番大好きなシーンかも!おかんがいなくなってから、目立たないよう静かに過ごしてたぼくにできた友達ケンとの日々(泣)ケンといる間、つられて明るく振る舞うぼくが愛おしかった(泣)

楽器のことはわからないけどギターよりベースって言った方がなんとなくかっこよさそう!って考える中学生のぼくも、メリケンで楽しそうにエアギターする姿も可愛くて、何か意味があるわけじゃないけど楽しい時間ってめちゃくちゃ大切だよなぁって改めて感じた😭第三場冒頭の、“おかんのことを知らない友達が必要”とか途中の“メリーでいる時は楽だった”の台詞から察するに、この時のぼくはまだおかんがいなくなった事実とは向き合えていないし、そんな強さもなくて、だからこそケンの両親が離婚するって笑顔で言ってきたケンを見て、ケンは強いなって思ったんだろうなぁ、その後泣いてるのに強がるケンを見て、より一層その思いは強くなったんじゃないかなと。当時、お通夜が終わってもお葬式が終わっても、泣くことすらできなかったぼくとは大違いだから…いつもは聞く専門だったメリーが、ケンの引越しの話を聞いて、「家出してきちゃいなよぉ!」って調子いいこと言い出すのも、ケンがいつもの調子じゃないことが居心地悪くて、この状況をどうにかしないとって気持ちでいっぱいだったのかなぁ。ケンと別れなきゃならない現実はもちろん寂しかったんだろうと思うし、表向きというかその時の ぼく はそれが1番に思ったことだと思うけど、心のどこかで、“ケンと別れる=メリーでいられなくなる”みたいな気持ちがあって、また おかんがいなくなった現実と向き合わなきゃいけないのが怖い気持ちもあったんだろうなって思うとこっちまで苦しくなった…

喜怒哀楽に溢れた陸ちゃんの表情をたくさん見られたのも嬉しかった😭家族に見せる顔とお友達に見せる顔、見分けつくくらい全然違ったのが印象的だった…!メリーとして過ごす陸ちゃんの楽しそうな表情は永遠に脳裏に刻み込みたい😭メリケン最強コンビだった😭橋本さん演じるケンも大好き🫰🏻メリケンは永久に不滅❕

 

第四場(おとんとの話の続き)

おかんがいなくなってからおとんがどう過ごしてきたのかを聞くところ、そんなことしてたんだってぼくと一緒に驚きが止まらなかったな…おとんが覚悟を決めて書いた手紙に、ぼくのいいところをたくさん書いたって言ってたけど、そこにはどんなことが書かれてるんだろうって気になるところではある😌ほっこり生温いお布団を気持ち悪がるけど、なんとなく懐かしい気持ちになるぼくの心情で、この家でずっと一緒に過ごしてきたんだなって伝わってきて涙止まらなかった…赤ちゃんの頃の話、節分の話、たくさん愛されて育って、“しんどいこともあったけど今思い返したらかわいいところしか思い出せない”とまで言われるの、すごいことだなって思ったし、親ってやっぱりすごいなぁって改めて感じた😭

きっと陸ちゃんも、ぼくと同じように大切に愛されて育ってきて、これから先もたくさん愛されて生きていくんだろうなってことを忘れずに応援しないといけないなぁって思ったシーンでもある😭出ずっぱりで水分補給できるタイミングが多分ここだけだったのか、お布団入って暗転してからの水分補給に本気出してた陸ちゃん愛おしかったな。喉渇くよねあんなに喋ったら😌お布団の中で動き出しやすい体制に整えてるところ見られてニコニコしちゃった☺️

 

第五場(夢の中)

タイトルの意味がようやくわかって なるほど〜 って感服したシーン…!夢の中でぼくがおかんにぶつけた感情全部丸ごと抱きしめたくなった…おかんのことが大好きで大好きで、いなくなってから今までずっと寂しかったんだって、ちゃんと吐き出せててよかったなぁ😭おかんと話す時、口調がぶっきらぼうな割に、おかんから見えない角度で嬉しそうな表情してるのが思春期の演技としては天才的だったと思う!(贔屓目)“幸せになり!自分だけの幸せを見つけて、いつか報告しにおいで”って言うおかんに、“ちゃんと待っててや”って涙声で言うぼくが、愛おしくて愛おしくて堪らなかった😌おかんのための『蛍の光』も立派に歌えてて、子供から大人になる途中の思春期のぼくが、おかんのために歌を歌う行為そのものがぼくの成長を表しているような気がして、大きくなったなぁって、お前誰や!ってつっこまれそうな感情でいっぱいになった😭お願い事を叶えておかんとお別れするとき、今までより晴れやかな表情をしてたのが印象的だった😌

蛍の光』を歌う時のマイクの持ち方がめちゃめちゃアイドルで、そこだけは中学生の男の子というよりジャニーズみたいだったけど、涙を流しながら台詞を言って、歌を歌ってる陸ちゃんは間違いなく ぼく の人生をちゃんと生きてて素敵だった!“おかん!ここまで育ててくれてありがとうございました!”の台詞もズルい…舞台の台詞の中で、あの台詞が一番涙腺にきた😭千秋楽のとき、いつもより泣きすぎて全然上手く歌えてない姿見たら、よく頑張ったねぇってこっちまで今まで以上に涙止まらなくなっちゃった(泣)

 

エピローグ(舞台の時の場面分けわからなくなったから原作の場面分けで😭)

夢の中でおかんに会えて、2人ともすっきりした表情で、眠る前より空気感が明るくなってたのがすごくよかった〜!2人とも、おかんがいなくなったことをちゃんと受け入れられて一安心。2度目のお願い事が叶ってるか確かめるべく、餅が焼けるか試すおとんとぼくがかわいかった😌あんなにドキドキしながらお餅を見つめることないし、ドキドキしすぎておとんがよそ見しちゃうのも👍🏻

おとんがアドリブで遊んでるから偶に上手く返せない陸ちゃんが愛おしかったな〜!おみかんで水分…って言ってるのに餅でとったらええやん!は意味がわからなすぎて😂水分取らずに餅食べたら詰まらせちゃうよ←

 

総括〜!

“誰や!時間が解決してくれるって言ったの!”って怒る ぼく はまだ子どもで、茄子牛に“おかんを生き返らせてもらおう”ってお願いしようと提案したことをきっかけにおかんがいなくなってからの3年間を思い返して、当時小学生だったぼくには知らなかった、おとんが 当時のぼく には伝えられなかった想いや行動を知って、そうやってただ時間に押し流されるんじゃなくて、“時間”をちゃんと感じて、少しだけ大人になったからこそ茄子牛の夢が見られた(=おかんがいなくなった現実と向き合えるようになった)ってことなんだろうな。“時間が解決してくれる”って、ただただ時間に流されてたら済むって話じゃないってこと。時間を感じて、考えて、その時々の感情とちゃんと向き合って自分の中に落とし込むことが、“時間が解決してくれる”の真意なのかなぁ。(中学の入学式の日、おかんがいない現実を“受け入れた”おとんと、“諦めた”ぼくの対比がその表現なのかな。)

冒頭の、「なんか夢見たか?」っておとんの問いかけに、「見てへん、ずっとテレビ見てたから寝てへんねん」って返してること、中学に入ってからのぼくについて、「家では普通に話すようにした、休まず学校に行っておとんのしょうもない話にも突っ込んで、毎日残さずご飯を食べて、宿題をして、暗闇の中で目を閉じた」のところ、“眠った”って表現せず、“暗闇の中で目を閉じた”って表現してること、回想シーン後のおとんの台詞、「ひと眠りして、すっきりしてこいや、お前の中のぐちゃぐちゃの感情、富士山に投げ込んでこい」では“眠る”って表現になってること、夢の中で、“3年間泣き続けたぼくの心”の描写が繋がって、“眠って夢を見ること”をおかんの死を受け入れることとして表現してるのかな、と思った(原作では“夢をみるのが久しぶり”の文言もあるので) 

人が夢をみる理由として、

普段の生活で起きた出来事や脳に蓄積したあらゆる情報を整理するために夢を見る

と言われているそうで、なるほどそういうことなんだろうな〜って腑に落ちた感じがした。情報を整理するにも、小学生のぼくにとっては おかんの死 って情報が大きすぎて、キャパオーバーになってたんだろうな。だからこそそれをするにも時間が必要で、それがこの3年間という時間だったんだろうなぁと。おとんの“お前も大人になったなぁ”の台詞が全てって感じもする…!ちょっとまだ分かりきってないから原作読み込もう…!

難しい内容だったけど、笑って泣ける明るい舞台だったから、重くなりすぎずに物語を味わえて至福の時間だった😭初演で観られなかったから、再演で観られて本当に幸せでした!これからも陸ちゃんを通して色んな物語に巡り会えますように!

 

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